当ブログは新年そうそうより始めたのだが、書き入れたのも、まだ数回のことで、あちこち調べて見ると書き手に都合のよいさまざまな編集機能が揃っているのが面白い。全体のデザインを決めるテンプレートも100種ほどが用意されている。だがわたしには、こうした機能のすべてを使いこなすには、まだまだ先のことになりそうだ。機能といい道具といい、使いこなすには、こちら側の主体性というものが常に問われている。たとえば当ブログの機能の中に、アップした記事の一つひとつについて、公開するか下書きのままにしておくか選択できる機能があって私のほうが困惑してしまった。アップしても下書きのままにしておくのか、公開するのかの選択ができる機能なのだが、私の場合はどうもなじまない。書いたならさっさと公開するのが、常道だと思い込んでいるふしがある。直すのは公開してからでよいという杜撰さである。こうして公開してから、読者の迷惑も省みずに、何度と無く校正と編集が始まる次第である。下の二つの記事もそうだった。それぞれ10数回は文章を直してはアップしてみたものである。読者のみなさんには、なんとも申し訳のないことである。そこまで直すなら決定稿ができるまで未公開にしておけとお叱りを受けそうだ。
しかしながら今後とも、こうした私の「やり方」は変わらないと思う。素人じみた方法だが、つまり最初から公開して、公開しつつ訂正を加えていくという、この「やり方」が私の性格にあっているのだろう。杜撰な性格は自ら自覚するところなり。おそらく性格上、公開、未公開の道義的区別がつかないのかもしれない。それから当ブログの制限文字数は1万字とのことだが、400字詰め原稿用紙なら25枚ほどになる。まさか25枚を一気に書いてしまうことはできないが、言いたいことのおおよそならば、わたしはだいたい一気に書いてしまう。言い切ってしまえば論旨としての続きは無い。続きのある話は、別途の編集能力が必要なのだろう。少なくても機能の有無の問題ではない。長い文章を書くことは、私にはまだまだ経験のないことだ。だが「続き」を上手に使わなければ長い原稿は書けたものでもないことはよく分かっている。こうした事も、ともかく書いて見なければ話にならない。あっちとこっちの文章をつぎはぎしてみれば一群の物語というものが、それなりに出来てくるような気もしている。今後の楽しみということにしておこう。ちなみに私の場合、一つの記事を何度ほど書き直しているのか、今日の記事について、その頻度を数えておくことにする。
(第一回)書き上げたと同時にアップ 17:20
(第二回)さっそくタイトルの誤字をみつけた。「文集」を「文章」に訂正する 17:25
(第三回)あれあれ、訂正しないまま、アップしてしまった。そこで実際に訂正する 17:27
(第四回)全文を見直し校正、編集する 17:35
(第五回)同上 17:48
(第六回)今日撮ってきた写真を添付する 17:55
(第七回)テンプレートを変えてみた 19:40
(第八回)テンプレートを元にもどす 21:10
(第九回)添付写真を入れ替える。二箇所訂正 翌日 12:00
(第十回)一箇所訂正 翌日 13:00
(第11回)さらに一箇所訂正 〃 13:10
(第12回)一行書き足す 二箇所訂正 〃 13:15
(第13回)以下の最後の一行「現在、ここまで書いてみたが、いっさい見直していない」は蛇足だと気がつき削除する。 〃 16:15
(第14回)冒頭部分を書き直す 〃 17:00
(第15回)一行削除 〃 20:00
(第16回) 訂正 〃 20:05
(第17回)訂正 翌々日 12:40